初心忘れるべからず〜高田明さんと、もう一度考えてみた〜
以前のブログでも紹介した、世阿弥の「初心忘れるべからず」という言葉。
今回は、ジャパネットたかた の創業者である髙田 明 さんの解釈を参考に、
また違った角度で掘り下げてみようと思います。
*以前の記事
世阿弥の言う「初心を忘れるな」とは、
「未熟であることを忘れるな」という意味でしたよね。
人間は年齢を重ねるに連れて「完成している」と錯覚し、
横着になったり、謙虚さを忘れてしまうものです。
これは一個人に限らず、会社などの組織でも同じだと髙田さんは言います。
「毎日が新しい初心の発見の連続だ」と思う事が成長に繋がるのだと、
高田さんは仰っていました。
世阿弥の著作「風姿花伝」に、こういった意味の一文があります。
”一時的な花を真実の花であるかのように思い込むと、真実の花になる道から遠ざかる。
それにも関わらず、誰も彼もが、この一時的な花を本物と混同してしまう ”
「時分の花(一時的な花)」とは、少年・青春期特有の
華やかに見える一瞬の美しさのことを指します。
そして「真実の花」とは、生まれ持った才能+努力によって高められた能力
によって得られた美しさのことを言うのです。
例え時が過ぎ去っても、その美しさは変わることなく、
決してしおれることもありません。
時分の花を真実の花と錯覚し、消える若者がいかに多いか… と、
髙田さんは危惧されていました。
この勘違いを引き起こしてしまうのは、
自分を高めようとする意識に欠けるからだろうと分析されています。
時分の花と真実の花の違いをはっきりと分かっている人は、
自己研鑽を止めることはありません。
例えば、ビジネスマンであれば「もっと売り上げを上げるにはどうすればいいか?」
「より分かりやすく伝えるためには、どういう言葉遣いが良かったのか?」
などと、研究を惜しみません。
そしてそういう努力を常に行う事が出来る人は、
必ず次も素晴らしい結果を残すことが出来ることは、一目瞭然ですよね。
それでは、続きは次回にしようと思います。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。