(続)初心忘るべからず-初心不可忘-
みなさん、こんばんは!
フリーランサーのきよたです。
さて本日は昨日に引き続き、「初心忘るべからず」ということわざについて考えていきます。
昨日はその語源と、生みの親 世阿弥 について、そして世阿弥のいう「初心」とはどういうものなのかについて考えを深めました。
今日は2つ目の解釈、「時々の初心を忘るべからず」から考えていきましょう。
この意味としては、何かの物事を始めたばかりの未熟な状態から少しずつ成熟し、その道を極め、さらには老後に至るまでの各段階で、その時々にあった初めての境地に至った時の感覚を覚えておくことで、幅広い魅せ方が可能になるというものです。
何事も新しい境地に到達する時は、自分にとって初めての経験。
それに至った時の感動、歓喜、さらにはそこに至るまでの過程を忘れないことが重要だと教えられています。
それがさらに、その技を極めていったり、より深みを求めていく上で必要なことなのでしょう。
最後に、3つ目の「老後の初心を忘るべからず」。
老後にさえ何かを習得するのに相応しい「初心」があり、それを忘れずに限りない技能の向上を目指すべし、と言っているんです。
例えば皆さんも、こんな経験はないでしょうか?
今までチャレンジしたことのない事にチャレンジするとき、
例えば資格試験の受験だったり、今までやったことのない仕事にチャレンジしたり、新しいスポーツに取り組んでみたり…
そんな時に、初めから上手くいく人もいるでしょうが、なかなかそうはいかない方も多いと思います。
「資格試験にチャレンジしてみたけど、合格点の1/3にしか届かなかった…」
「新しい仕事にチャレンジしてみたけど、要領が掴めなくて上手く出来ない…」などなど
その時の悔しい気持ちを忘れず、それらをバネにしてもっと頑張れと、世阿弥は教えてくれているのでしょう。
そして初心者を抜け出して、ある程度の成果を出せるようになった後も常にその悔しさでもある「初心」を忘れず、時にはその痛みを思い出して頑張る必要があると、伝えてくれていると思います。
そうやって常に精進し続けた先で、その道を極める玄人の域まで到達したとしても、さらに技を磨き続けよと…そう言っています。
よくある言葉で「人間は一生成長するもの」という言葉がありますが、まさにその通りかもしれません。
それもこの「初心忘るべからず」という言葉を深く解釈して理解し、実行した上で実現出来るものでしょう。
私も常に自分の初心を忘れず、精進していきたいと思います!
皆さんもぜひ、改めて考えてみられてはいかがでしょうか。
それでは今日はこの辺で失礼します。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。