〜言葉について考える〜「羨ましい」って…簡単に言っちゃっていいの?
みなさん、こんばんは!
フリーランサーのきよたです。
さて今回は、「羨ましい」という言葉について考えてみようと思います。
みなさんも、この言葉を日常のいろんな会話の場面で使う場面が
多くあるのではないでしょうか。
例えば、こんなシーン。
「あ、あの子。私よりもテストの点数良かったんだ・・・ 羨ましいな~・・・」
「最近設計部に異動してきた同僚。
早速クライアントに提案を認めてもらえたみたい。いいな~、羨ましい!!」
「友達は、勉強もスポーツも何でも上手く出来ちゃうクラスの人気者。
何でも器用に出来て、羨ましいな。」
こんな気持ちって、誰もが一度は抱いたことのあるものだと思います。
私も例外なく、誰かのことを常に「羨ましいな~」と思ってしまうタイプでした。
自分よりも恵まれた環境が羨ましい、結果が出て羨ましい、
いろんなところに遊びに行けて羨ましい、
好きなことを思いっ切り楽しめる人生を送れていて羨ましい、
容姿端麗で羨ましい、などなど。
いうなれば、隣の芝生が青く見えて仕方なかったんですね。
ただ、この間ふと気付いたんです。
「あれ?私、誰かのことを『羨ましい』って言ってばかりいるけど、
この人と同じくらい努力したことが一度でもあったか?」
そう思ったんです。
「そもそも、羨ましいなんて口に出して良いの?
羨ましいって言えるほど、自分は何か努力したの?」
そう自分に問いかけました。
・・・答えは、NOです。
私が羨ましいと感じる人たちは、もれなく私よりも圧倒的に努力をして、
その現実を手に入れているんだと気付いたからです。
いつの間にか、「羨ましい」という気持ちが
「妬み・ひがみ」に変わってしまっていたみたいです。
なんと恐ろしいことでしょう!笑
また、誰かのことを羨ましいと思う気持ちは、
きっとポジティブにもネガティブにも変換出来るんだと思います。
例えば、ポジティブに捉えたら「あの人みたいになれるように頑張ろう!」
と前向きな行動に移すことが出来ます。
しかし、ネガティブに捉えると
「自分よりもあの人の方がなんでこんなに評価されるんだ…
自分もこんなに頑張っているのに…」とひねくれた方向に向かいかねません。
そんな捻じ曲がった考え方をしていては、ラッキーも逃げて行ってしまいますよね。
そして、ネガティブに捉える事のもう一つの弊害だと、私が感じるものが、
行動が止まってしまう可能性もあるということです。
あの人が羨ましい → 自分は頑張ってもこのくらいか…
→ 自分に絶望する → 努力しても無駄だ…
→ どうせ変われないなら、何もかもがめんどくさい…
書いていて気持ちがどよんと落ちてしまいそうですが、
これが私が昔抱いていた感情です。
こんな気持ちでは、目標はおろか、自分の夢ですら実現することは出来ないですよね。
既に自分が行きたい場所に行っている人たちをみて、
ただ羨望するだけでは非常にもったいないです。
どうすればその人の元まで行けるのか、考えてみればいい。たったそれだけの事です。
自分で考えて分からなかったら、先人に聞いてみればいいんですよね。
たった一言、「どうやってそこまで行ったんですか?」って、言えばいいんです。
羨ましい、という言葉をプラスに解釈するのも自分、
マイナスに解釈するのも自分です。
その解釈一つで、自分の未来が大きく変わると考えたら・・・
正しい道を、選び続けたいものですね!
それでは今日はこのあたりで失礼します。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。